kicchom’s blog(ほぼ彩風咲奈さん用)

宝塚歌劇の観劇記録と、彩風咲奈さんのことなど

+act.5月号 彩風咲奈 self produce stageを読みました

+act. 5月号で、さきちゃんのインタビューを読みました。自分を育ててくれた上級生や組子たちとのエピソードが中心。教科書通りというか、優等生的な記事に仕立てられています。

 

こういう場合の個人的な読みどころは本筋ではなくて、こぼれ話とか写真のキャプションになりますかね。

 

・幼い頃の描写
・撮影の合間のさきちゃんの行動
・腕時計の話
・今回の靴の話

 

ですかね。特に腕時計の話はね……広がるよね……妄想が……。

 

お写真はプラスアクトおなじみ?のシックなパターンでした。先行でwebに上がったソファに座って肘をついてるカットはなし。個人的にはこないだの歌劇のポートの方が好みかな。どうせなら動きがあるのがいいなあ。

 

写真が2カットあるのにお顔の大きさがほとんど同じ。もったいない!アップが見たかったー。ただし、全身があったのと、靴の写真で足首がバッチリ見えてたので許す。そんなとこですかね。

 

外のファッション誌、演劇誌にジェンヌさんが登場するのは基本的に1度きりなのかな。それを踏まえると、こういう総括的な記事になるのも理解できます。ファンとしては、そろそろどのへんに楽しみを見出していくか試されている気もしてきますね。二番手のファン、めちゃくちゃ楽しいです。

 

 

歌劇4月号/表紙:彩風咲奈(初)

(一連のツイートに加筆修正しました)

 

フォローしてる皆さんがフラゲしてもネタバレしないでくれたので、発売前日に満を持してTCAのリンクを踏んで画像を確認。間違いない!これはいいやつ!レスリーありがとう!!

 

翌朝出勤前に書店へ。さすが全国ツアー常連会場の最寄り駅書店だけあって、歌劇専用の面陳ボックスが設置されてた。ありがとう本屋さん。

 

昼休みまで寝かせて、超高速でランチして、よくおてて拭いて開く。見る……そして静かに閉じる。

 

ホクロ…知らなかった…あんなに……!!!実はホクロスキーなのでもう、ホクロ……ホクロ……!!!

 

今年発売の歌劇表紙はどうやらここまでバックが同じ色らしいとのこと。さきちゃんの髪色は、そのバック紙の色に合わせたとしか思えないベストマッチ感あふれてました。わかってて染めたんだとしたら尊い。そうでなくても良くお似合いのステキな配色ですよね。

 

確か、歌劇は表紙のヘアメイクもスタイリングも自前ですよね。さきちゃんファッションはもちろんだけど、小物のオシャレさもどうなってんのよ!ネクタイピンなんて現実の男ではとんと見なくなったけど、シンプルな細工がいいねえ。和風な腰のリボンと白のマフラーなんて、こんなに身体に巻き物してカッコいいとか……。チラ見しかできない両手の人差し指の指輪をもっと見せて!華奢なやつなの?よく見えない!でもそこがすき!濃いめの薔薇の色味もいいし、ポケットチーフの色も髪とバック紙に合ってるなあ。もう!

 

表紙を触らずに中は読めないという当たり前のことがわかったので、これは読む用と保存用の2冊必要だということがわかりました。1冊は持ち歩く用にしたので、次号が出る直前にもう1冊買います。

 

久々に歌劇(の表紙)をじっくり見てたら、編集部的には素化粧の時のホクロは極力残す方針だったことを思い出すなどしていました。もっとも気を使って修正するのはクマの部分です。ツルッと直してしまうと別人になってしまうので、毎号印刷会社さんとの攻防がありました。「クマ自然に薄く 人相変えない」という赤入れを思い出します。

 

なんにせよ、さきちゃんの表紙!美しかった!満点!ご贔屓の初めてに立ち会える嬉しさはこういうところにあるんだね。だいもんファンの友人に、トップになったらもうGRAPHはワンショットだよと言った時の複雑な反応を心に刻みつつ。

脚本・演出と、生徒さんの演技や頑張りは別物

私は、タカラヅカのどのへんが好きなのか人に聞かれる機会があると、決まって「様式美ですね」と答えているんだけど、様式美と演出は分けて考えたいと思っている今日この頃。

 

様式美を表現できる演出が必ずしも既存の方法だけでないことは若手演出家の先生方が証明し始めているし、ベテラン先生方だって昔は昔なりの新しい演出に挑戦してたんだろうと思います。

 

ヅカファンの中でも特定の贔屓組や贔屓の生徒さんを持つ人(私もそのうちの一人です)は、公演を観るとまずは組や生徒さんの頑張りに目を向けるし、それはもちろん至極当然のこと。あとは作品が個人的な思い出と紐付いているケースなどは誰にもありますよね。私にもあります。

 

そうなってくると、作品や演出についての見方がブレブレになってきます。もしくは、作品や演出のことはもうどうでもよくなって多くを語らなくなるとか(ビジュアルに注目するなど)、劇場通いしているなら日々の細かい演技の変化を前向きに楽しめるようにさえなってきます。これも私の経験からです。

 

そんなヅカファン、ヅカオタの中でもツイッターで作品や演出に対してしっかり切り分けて意見している方を見かけると本当に尊敬しかなくて、毎度毎度心の中で100万回ファボってます。作品を批評することと、生徒さんの演技や役作りへの評価を全くの別物として扱い表明する、ひとかたならぬ勇気を感じるからです。

 

私たちタカラヅカファンがもっと勇気を持って声を大にしていいのは、作品そのものと演出そのものへの意見だと思うのです。そしてその意見は、生徒さんの演技に対する感想や役作りへのねぎらいとは全く別のものであることも強く主張していきたいと、私は思います。

雪組全国ツアーを観てきました

誠の群像でもSUPER VOYAGER! のレポートでもないです。さきちゃんだいすきって話です。

 

東京の大劇公演が終わってからというもの、お稽古入り出の大きなマスク姿と、常人離れしたスタイルとファッション、チラっと見えてる目の表情を拝ませてもらいつつ毎日をなんとか乗り切ってきました。

 

あとは、ちょいちょい挟まれる公式からの大小のニュースと、スカステを録画してもらったいろんな映像と、過去公演の曲と、ひかりふる路CDと、Twitterでの情報収集・交換と。そういうもので飢えをしのぎ渇きを癒していた1ヶ月半でした。

 

相模女子大グリーンホールでの席はぎりぎりオペラがいらないぐらいの良席で、立ち位置によっては、演じる方の視線の先が向きやすい距離だったのでありがたい限りです。

 

とにかく感じたのは、東京で観た「ひかりふる路/SUPER VOYAGER!」のコンディションとの大きな差です。以前も書いた通り、ライビュを除けば私の最後の劇場観劇は、さきちゃんがスカステカレッジ公開収録を体調不良で無念の欠席された翌日の公演で、その時は「休演しないでくれてありがとう」の涙だったわけですが、今回は「元気でいてくれてありがとう」の涙が止まりませんでした。

 

この「涙が止まらない」って表現は個人的には眉唾だなあと思ってたんですけど、本当にあるんだね。「海の見える街」で元気いっぱいのさきちゃんを観てたら、拭いても拭いても涙が流れてくる。もう作品や演出の評価とかどうでもよくて、とにかく元気でいてくれてよかった、私自身も生きててよかったと心の底から思わせてくれました。これか。これが「同じ時代を生きてくれてありがとう」状態なのね。わかる。

 

いろいろすっとばしますが、フィナーレのお衣装を着た姿が世界一すきです。舞台写真じゃない、二番手羽根を背負ってキラキラと動くさきちゃん。そのままうちに持って帰りたかった!

 

全国ツアーでは観客とのふれあいをきっちり大切にするんだなと改めて思いました。私だけでなく同行の友人も、タイムラインのみなさんも「“あの”さきちゃんから目線をもらった」と口々に言ってるのをみると、それがトップさんであるだいもんの影響なのか、二番手として回る全国ツアーだからなのか、詳しい事情はわからないにせよ、喜ばしいことだなと素直に思います。これもまた(実際に立ち会ったことはないけど)入り出の様子とのギャップがたまらん案件ではないかと思う次第です。

 

香川公演のレポートで、さきちゃんの地元・愛媛からの団体のみなさんが、さきちゃんについて語る声の中から「元気そうだった」という感想が聞こえたというのを読んで、おそらくそれとはまた別の次元の話になるのかもしれないけど、今回私の感想のほとんども「さきちゃんが元気で本当によかった!」というものだったことを書き残しておきたいと思います。

 

これまで宝塚以外にもたくさんの舞台を観てきたけど、この感想が真っ先に出るのは初めてじゃないかな。なにはともあれ、よかったです!

1階2列目で2回目――花組「ポーの一族」

今回はお芝居後のフィナーレ、しかも群舞のことだけ書こうかなと思います。理由は察して。推して知って。

 

なんつっても花男の運動部感。群舞はスポーツですよね。勝負を挑まれているとしか思えませんよ。こちらはとっくに負けを認めているというのに!

 

大階段にスタンバイした時点ではマイティの優勝(※個人的な評価です)。だと思っていたら、ほぼみんな座りスタンバイだったのか。たまらん。それにしてもマイティなんなの。なんだろうあの圧は。

 

みりおセンターになると、みりおにしか目が行かなくなる法則(※個人的なものです)があるのでそこは十分に堪能しまして、さあ皆様おなじみデュエダンのためにトップさんがハケてからの男役オラオラタイムがやってまいりました。

 

れいちゃん、水を得た魚っていうか、サバンナで獲物を見つけたチーターっていうか、観てるこっちの襲われ感すごすぎるんですけど。命ねらわれてる。実際しんだ。まずさ、ウインクのかましタイミングどうなってんのよ!あんなのありか!

 

だいたいウインクって「来るぞ来るぞ、キメんとこで来るぞ……」って心構えできるはずなのに。急すぎ。オラオラタイム始まってすぐ来た。急に来た。なにあれ。QWKか。急にウインク来た か(※元ネタご存じない方は「QBK」で検索して)。しぬわ。

 

いや、もちろん自分めがけてQWKだったわけじゃないんだけど、あの殺傷能力は半端じゃない。変な声出ました。どう処理していいかわかんなくてとりあえず笑いましたよね。

 

そこから、さあ俺のターンだと言わんばかりっていうか、そう言ってる子たちしかいないキレッキレぶり。どこ観たらいいんですか。マイティとちなつが同時に視界に入らないなんて、どうしてくれるんですか。小池先生。からの、「ばーん」で二度しにます。よくしんだ。

 

結論としては、小池先生は1本物のお芝居に付いてるフィナーレのショー演出が優れているのだと思いました!

 

前方席で観た感想としては、花男の群舞には小さな竜巻レベルの風が起こっていることがわかりました(物理的に)。※個人的な見解です

 

 

25ansで彩風咲奈さんのインタビューを読みました

写真の良さに惹かれて買って読みました。

そこに書かれていた内容から考えたことが全てではないけれど、読後の気持ちをちょっと書き残しておきたくなりましたので。長めです。

 

本人が言ってた、ギャップの話。

 

私はいつからか、さきちゃんが孤独を背負っているように感じていました。つまり、それまでは感じていなかった、ということです。

 

下級生時代から抜擢されて組替えもなく、いわゆる組の御曹司として順風満帆に見える経歴。長い手足のくっついた、八重歯のベビーフェイスが笑顔になるのを見るたびに、この先もずっとまっすぐにスター街道を駆け上がっていく人なのだろうなと思っていました。

 

それが、遅ればせながら改めて舞台での姿に注目するようになった時、誰かと切磋琢磨しているという印象よりも、いつもひとりで、自分自身と闘っているように見えたんですよね。もしかしたら実際にちょうどそんな時期だったのかもしれません。

 

(余談ですが、ある時、ツイッターのタイムラインに流れてきた期別の生徒一覧表を見てみると、雪組の93期はひとりぼっち。もっと上級生になるとよく見かける光景ではあるけど、この期はなかなか珍しい偏り方をしていますよね)

 

過去に同じような印象を受けたのは、北翔海莉さんでした。彼女のお芝居を観ると、やっぱりいつも自分を相手に高みを目指しているように感じていました。詳しくは省きますが、ある時、騒がしい環境の中でぽつんとひとり読書中のみっちゃんを見かけたことがあります。その姿が、なんとなく今のさきちゃんと重なる気がしてならないんです。

 

25ansさきちゃんが話していることを読むと、葛藤の時期を乗り越えたというより、自分自身をまるごと受け入れたんだなという感触でした。私はこんなさきちゃんを舞台で観て、孤独と隣り合わせにあるように感じたんじゃないかという気がしています。

 

ファンから見て「いつの間に!」「(いい意味で)思ってたのと違う」というギャップをモノにした強みは、いつまでも本人について回るさまざまな形容詞や肩書きと、男役としてのあり方、素の彼女自身の間に生まれていたギャップを「そのままにしておく」という選択で手に入れたものなんじゃないかなと思いました。

 

似た境遇の下級生へのメッセージも素敵でしたね。ひとこを想定して読みましたが、これからどんどん他組にも同じような生徒さんは出てくるでしょうから、彼女たちもこんな想いで進んでいくのだとファンに想像させてくれることに意味があると思います。

 

いい時期、いいタイミングでのインタビューだからこそ、という話が読めて大満足です。公式の定期刊行物は、常に今この時の気持ちを知るための情報源としては申し分ないのですが、外部のイレギュラーな取材ものは比較的長いスパンで本人に振り返らせるような、かつ思いがけないストレートな質問が出てくるので、ある意味とても貴重なものだと思っています。

2018年の新作ならば――花組「ポーの一族」

 

※ややネガティブな意見を書いています。

 

 

 

タイトルの発表、完璧なビジュアルの公開、制作発表、萩尾先生と小池先生のドラマ、鬼のような東京公演のチケット争奪戦、お正月のムラ初日から溢れかえる絶賛の記事やツイート……。ようやく東京宝塚劇場公演の幕が開いて、幸運にも2日目に観劇してきました。

 

原作ファンの方々が太鼓判を押しまくっていたし、ムラからのレポートも「語彙が消失した」「エドガーはいた」みたいな感じだったので、これはもう期待しないわけにはいかなくなっていたのも事実です。

 

ちなみに原作は舞台化が決まってから一気に読みました。10代の頃に出会っていたら愛読書になっただろうと思いながら、主に朝の通勤電車で読み進めていたのですが、どうも毎日胸が苦しくなることを原作ファンの同僚に伝えると「なにやってんの、朝はやめときなって」と言われたものです。それほどの作品でした。

 

ただ、私はといえば、ほんの6日前に雪組公演の閉幕を受けて、とてもトップお披露目公演とは思えないほど、言ってみればサヨナラ公演並みのロスに打ちひしがれていまして、まあ身も心もボロボロ(いい意味で)の状態でした。

 

 

いつもと全然違う、少年とも男役とも言い表せない明日海りおの開演アナウンスの声を聞いて「あっ、これが噂の」と思う間もなく薔薇が咲き乱れる例の幕が上がると、そこは原作そのものの世界……というよりはむしろ(おなじみの)小池作品の世界。セリや盆の(高頻度の)駆使、音の入れ方、つなぎ方、歌詞、曲調は「ああ、小池先生の作品ですよね」という感想しかありませんでした。(友人によると、私は雪組るろうに剣心」の時も同じようなこと言ってたらしいです)

 

小池作品は決して嫌いじゃないのに。春野寿美礼さんのサヨナラ公演「アデュー・マルセイユ」は一幕物のあてがきで大好きな作品でもあります。ちょっと前なら、贔屓組が小池作品に当たったら「やったー!」って感じだったけど、やっぱり何かが変わりつつあるんじゃないかなと思うんですよね。

 

出かけた涙が引っ込んだ場面がいくつもあったんです。余韻が欲しいときに説明してくれるから「ああっ(涙)……」→(コーラスで説明)→「……ですよね! 今この目で観ましたから!」となる。これって、宝塚らしい演出と言えばそれはそうかもしれないんだけど、もうちょっと余白くださいよ、客だって観てりゃわかりますよというところなんですよね。観客を信じてほしい。あの先生やこの先生のように、って名前出すと面倒なのでそこは察してください。

 

花組の「ポーの一族」は2018年の宝塚歌劇の新作だってことに、私はもっと期待していたんだ、というお話でした。

 

最後にお役のことを。気になった人みんな書くと終わらなくなるので、みりおと、あとちょっとだけ。

 

みりおエドガー造形は完璧で、目が彼女にしか行かないと言ってもよかったです。ストンとした少年の細さが際立っていて、もしかしたら身体を絞ったか、より細く見える採寸をした衣装なんじゃないかなと思いました。役作りも完璧。本人ではなく演出への不満としては、心情を吐露するのはソロナンバーだけじゃなくて、演技でももっと静かに長い時間じっくり観てみたかったです。とにかくそこ。あれだけ作りこんでいるんだから、ストレートなお芝居でもエドガーのあれやこれやを観たかった……。

 

ゆきちゃんシーラの演技力には舌を巻きました。れいちゃんアランはバンパネラになってからのたたずまいにグッときたのでその後のお話を観たかった。あきら男爵の安定感すごかった。ちなつ医者、悪気のない悪い男で足長かった。はなちゃんメリーベルは哀しみの困り顔が可愛すぎて妹にしたかった。以上です!