kicchom’s blog(ほぼ彩風咲奈さん用)

宝塚歌劇の観劇記録と、彩風咲奈さんのことなど

2018年の新作ならば――花組「ポーの一族」

 

※ややネガティブな意見を書いています。

 

 

 

タイトルの発表、完璧なビジュアルの公開、制作発表、萩尾先生と小池先生のドラマ、鬼のような東京公演のチケット争奪戦、お正月のムラ初日から溢れかえる絶賛の記事やツイート……。ようやく東京宝塚劇場公演の幕が開いて、幸運にも2日目に観劇してきました。

 

原作ファンの方々が太鼓判を押しまくっていたし、ムラからのレポートも「語彙が消失した」「エドガーはいた」みたいな感じだったので、これはもう期待しないわけにはいかなくなっていたのも事実です。

 

ちなみに原作は舞台化が決まってから一気に読みました。10代の頃に出会っていたら愛読書になっただろうと思いながら、主に朝の通勤電車で読み進めていたのですが、どうも毎日胸が苦しくなることを原作ファンの同僚に伝えると「なにやってんの、朝はやめときなって」と言われたものです。それほどの作品でした。

 

ただ、私はといえば、ほんの6日前に雪組公演の閉幕を受けて、とてもトップお披露目公演とは思えないほど、言ってみればサヨナラ公演並みのロスに打ちひしがれていまして、まあ身も心もボロボロ(いい意味で)の状態でした。

 

 

いつもと全然違う、少年とも男役とも言い表せない明日海りおの開演アナウンスの声を聞いて「あっ、これが噂の」と思う間もなく薔薇が咲き乱れる例の幕が上がると、そこは原作そのものの世界……というよりはむしろ(おなじみの)小池作品の世界。セリや盆の(高頻度の)駆使、音の入れ方、つなぎ方、歌詞、曲調は「ああ、小池先生の作品ですよね」という感想しかありませんでした。(友人によると、私は雪組るろうに剣心」の時も同じようなこと言ってたらしいです)

 

小池作品は決して嫌いじゃないのに。春野寿美礼さんのサヨナラ公演「アデュー・マルセイユ」は一幕物のあてがきで大好きな作品でもあります。ちょっと前なら、贔屓組が小池作品に当たったら「やったー!」って感じだったけど、やっぱり何かが変わりつつあるんじゃないかなと思うんですよね。

 

出かけた涙が引っ込んだ場面がいくつもあったんです。余韻が欲しいときに説明してくれるから「ああっ(涙)……」→(コーラスで説明)→「……ですよね! 今この目で観ましたから!」となる。これって、宝塚らしい演出と言えばそれはそうかもしれないんだけど、もうちょっと余白くださいよ、客だって観てりゃわかりますよというところなんですよね。観客を信じてほしい。あの先生やこの先生のように、って名前出すと面倒なのでそこは察してください。

 

花組の「ポーの一族」は2018年の宝塚歌劇の新作だってことに、私はもっと期待していたんだ、というお話でした。

 

最後にお役のことを。気になった人みんな書くと終わらなくなるので、みりおと、あとちょっとだけ。

 

みりおエドガー造形は完璧で、目が彼女にしか行かないと言ってもよかったです。ストンとした少年の細さが際立っていて、もしかしたら身体を絞ったか、より細く見える採寸をした衣装なんじゃないかなと思いました。役作りも完璧。本人ではなく演出への不満としては、心情を吐露するのはソロナンバーだけじゃなくて、演技でももっと静かに長い時間じっくり観てみたかったです。とにかくそこ。あれだけ作りこんでいるんだから、ストレートなお芝居でもエドガーのあれやこれやを観たかった……。

 

ゆきちゃんシーラの演技力には舌を巻きました。れいちゃんアランはバンパネラになってからのたたずまいにグッときたのでその後のお話を観たかった。あきら男爵の安定感すごかった。ちなつ医者、悪気のない悪い男で足長かった。はなちゃんメリーベルは哀しみの困り顔が可愛すぎて妹にしたかった。以上です!