kicchom’s blog(ほぼ彩風咲奈さん用)

宝塚歌劇の観劇記録と、彩風咲奈さんのことなど

25ansで彩風咲奈さんのインタビューを読みました

写真の良さに惹かれて買って読みました。

そこに書かれていた内容から考えたことが全てではないけれど、読後の気持ちをちょっと書き残しておきたくなりましたので。長めです。

 

本人が言ってた、ギャップの話。

 

私はいつからか、さきちゃんが孤独を背負っているように感じていました。つまり、それまでは感じていなかった、ということです。

 

下級生時代から抜擢されて組替えもなく、いわゆる組の御曹司として順風満帆に見える経歴。長い手足のくっついた、八重歯のベビーフェイスが笑顔になるのを見るたびに、この先もずっとまっすぐにスター街道を駆け上がっていく人なのだろうなと思っていました。

 

それが、遅ればせながら改めて舞台での姿に注目するようになった時、誰かと切磋琢磨しているという印象よりも、いつもひとりで、自分自身と闘っているように見えたんですよね。もしかしたら実際にちょうどそんな時期だったのかもしれません。

 

(余談ですが、ある時、ツイッターのタイムラインに流れてきた期別の生徒一覧表を見てみると、雪組の93期はひとりぼっち。もっと上級生になるとよく見かける光景ではあるけど、この期はなかなか珍しい偏り方をしていますよね)

 

過去に同じような印象を受けたのは、北翔海莉さんでした。彼女のお芝居を観ると、やっぱりいつも自分を相手に高みを目指しているように感じていました。詳しくは省きますが、ある時、騒がしい環境の中でぽつんとひとり読書中のみっちゃんを見かけたことがあります。その姿が、なんとなく今のさきちゃんと重なる気がしてならないんです。

 

25ansさきちゃんが話していることを読むと、葛藤の時期を乗り越えたというより、自分自身をまるごと受け入れたんだなという感触でした。私はこんなさきちゃんを舞台で観て、孤独と隣り合わせにあるように感じたんじゃないかという気がしています。

 

ファンから見て「いつの間に!」「(いい意味で)思ってたのと違う」というギャップをモノにした強みは、いつまでも本人について回るさまざまな形容詞や肩書きと、男役としてのあり方、素の彼女自身の間に生まれていたギャップを「そのままにしておく」という選択で手に入れたものなんじゃないかなと思いました。

 

似た境遇の下級生へのメッセージも素敵でしたね。ひとこを想定して読みましたが、これからどんどん他組にも同じような生徒さんは出てくるでしょうから、彼女たちもこんな想いで進んでいくのだとファンに想像させてくれることに意味があると思います。

 

いい時期、いいタイミングでのインタビューだからこそ、という話が読めて大満足です。公式の定期刊行物は、常に今この時の気持ちを知るための情報源としては申し分ないのですが、外部のイレギュラーな取材ものは比較的長いスパンで本人に振り返らせるような、かつ思いがけないストレートな質問が出てくるので、ある意味とても貴重なものだと思っています。

2018年の新作ならば――花組「ポーの一族」

 

※ややネガティブな意見を書いています。

 

 

 

タイトルの発表、完璧なビジュアルの公開、制作発表、萩尾先生と小池先生のドラマ、鬼のような東京公演のチケット争奪戦、お正月のムラ初日から溢れかえる絶賛の記事やツイート……。ようやく東京宝塚劇場公演の幕が開いて、幸運にも2日目に観劇してきました。

 

原作ファンの方々が太鼓判を押しまくっていたし、ムラからのレポートも「語彙が消失した」「エドガーはいた」みたいな感じだったので、これはもう期待しないわけにはいかなくなっていたのも事実です。

 

ちなみに原作は舞台化が決まってから一気に読みました。10代の頃に出会っていたら愛読書になっただろうと思いながら、主に朝の通勤電車で読み進めていたのですが、どうも毎日胸が苦しくなることを原作ファンの同僚に伝えると「なにやってんの、朝はやめときなって」と言われたものです。それほどの作品でした。

 

ただ、私はといえば、ほんの6日前に雪組公演の閉幕を受けて、とてもトップお披露目公演とは思えないほど、言ってみればサヨナラ公演並みのロスに打ちひしがれていまして、まあ身も心もボロボロ(いい意味で)の状態でした。

 

 

いつもと全然違う、少年とも男役とも言い表せない明日海りおの開演アナウンスの声を聞いて「あっ、これが噂の」と思う間もなく薔薇が咲き乱れる例の幕が上がると、そこは原作そのものの世界……というよりはむしろ(おなじみの)小池作品の世界。セリや盆の(高頻度の)駆使、音の入れ方、つなぎ方、歌詞、曲調は「ああ、小池先生の作品ですよね」という感想しかありませんでした。(友人によると、私は雪組るろうに剣心」の時も同じようなこと言ってたらしいです)

 

小池作品は決して嫌いじゃないのに。春野寿美礼さんのサヨナラ公演「アデュー・マルセイユ」は一幕物のあてがきで大好きな作品でもあります。ちょっと前なら、贔屓組が小池作品に当たったら「やったー!」って感じだったけど、やっぱり何かが変わりつつあるんじゃないかなと思うんですよね。

 

出かけた涙が引っ込んだ場面がいくつもあったんです。余韻が欲しいときに説明してくれるから「ああっ(涙)……」→(コーラスで説明)→「……ですよね! 今この目で観ましたから!」となる。これって、宝塚らしい演出と言えばそれはそうかもしれないんだけど、もうちょっと余白くださいよ、客だって観てりゃわかりますよというところなんですよね。観客を信じてほしい。あの先生やこの先生のように、って名前出すと面倒なのでそこは察してください。

 

花組の「ポーの一族」は2018年の宝塚歌劇の新作だってことに、私はもっと期待していたんだ、というお話でした。

 

最後にお役のことを。気になった人みんな書くと終わらなくなるので、みりおと、あとちょっとだけ。

 

みりおエドガー造形は完璧で、目が彼女にしか行かないと言ってもよかったです。ストンとした少年の細さが際立っていて、もしかしたら身体を絞ったか、より細く見える採寸をした衣装なんじゃないかなと思いました。役作りも完璧。本人ではなく演出への不満としては、心情を吐露するのはソロナンバーだけじゃなくて、演技でももっと静かに長い時間じっくり観てみたかったです。とにかくそこ。あれだけ作りこんでいるんだから、ストレートなお芝居でもエドガーのあれやこれやを観たかった……。

 

ゆきちゃんシーラの演技力には舌を巻きました。れいちゃんアランはバンパネラになってからのたたずまいにグッときたのでその後のお話を観たかった。あきら男爵の安定感すごかった。ちなつ医者、悪気のない悪い男で足長かった。はなちゃんメリーベルは哀しみの困り顔が可愛すぎて妹にしたかった。以上です!

さきちゃんが二番手羽根を背負った――雪組「SUPER VOYAGER!」

 ムラで初日が開いてから毎日TLで詳細なレポートを読み漁り、リピーターの方々ならではの深い洞察やら観察やらに唸りながら、東京でのいわゆるMy初日を迎えました。お正月に放映されたテレビ中継(録画)も観てから行きました。結論から言うと観といてよかった。叫んだり泣いたりできたので。

 

2回目の観劇が、図らずも件の「体調不良のため無念のイベント欠席」の翌日だったため、前日から睡眠不足で居ても立っても居られず、さきちゃんが劇場入りしたという情報を確かめるまでは、本当に生きた心地がしませんでした。無理を押しての公演だったのでしょう、何度もテレビで見たムラの映像と比べると抑えた振りもありました。それでもよかった。素晴らしいパフォーマンスだった。舞台を第一にメンテナンスを選んでくれた英断に頭が下がりました。

 

見どころは何を置いても、海の見える街。5分間踊りっぱなしのシーンがあると聞いてはいましたが、予想していたものの遥か上を行く格好良さでした。さきちゃんが0番でのびのびと踊ってるのを観るだけでもうほんと生きててよかった……って思いました。大げさでなく。

よくあるカラフルなシーンで着せられる色違いのスーツの中では、最も罰ゲーム感が強い気がする黄色のお衣装があんなに眩しく見えたことはありません。

終盤、転調してからさらに激しくなる振りに涙が溢れます。三井先生の振り付けは、ぜひまたどこかの組でも観せていただきたい!

 
それにしてもさきちゃん、膝を曲げたり腰を落としたりした時の脚の余り方、あれはどうなってるんですかね。不思議。最高。あと太腿がいい。


パレードは、視界に水色の総スパン(脚)が目に入った瞬間「これか!これが二番手というものか!」と言っちゃった。実際に。テレビの前で。白い大羽根似合いすぎ。語彙尽きすぎ。個人的な実感としては、羽根はもちろんだけど総スパンのお衣装の衝撃が強かったという感じです。

 

作品全体については、野口先生に言いたいことはたくさんありつつも、素敵な場面をさきちゃんに宛ててくれてありがとう本当にありがとうという気持ちです。そして、どなたの演出になるのかわかりませんが、二番手としての黒燕尾を見せてくださいませ、と思っています。

何度でも観られる――雪組「ひかりふる路」

劇場で2回と、千秋楽のLVを観ました。

まだロスです。

前にツイートしたものに加筆修正しました。

 

タカラヅカでは既視感ありすぎるフランス革命ものの中でもかなり硬派だし、大劇場作品としてのスターシステム縛りはあるものの、よくぞここまで描き切ったと感動しました。生田先生渾身の作品。もし二幕物だったらおそらく群像劇になりえただろうと思うし、もしそうであったなら、あーさサン=ジュストやひとこル・バの最期や、カミーユ夫妻、ダントン夫妻の物語も観てみたかった。贅沢なリクエストだとは思うけど。

 

なにしろトップコンビの芝居、トップと二番手の芝居に厚みがある。だいもんこと望海風斗さんは、良い意味で重くてしっとり色気のある芝居に、滑らかに歌を乗せることができる人。今回は苦悩する姿、理想を追い求めてズタボロになる姿をこれでもかと見せてくれる、異例だけど最高のトップお披露目だったと思いました。

 

真彩希帆ちゃん、観劇した日は喉を労ってた日だったのにも関わらず、きいちゃんの歌の上手さと芝居心はだいもんと拮抗してて唸りました。全曲通して音域の広さを感じさせないところに凄みを感じます。


そして彩風咲奈さん。さきちゃんには、スチールやテレビ画面越しでは伝わらない迫力がある。二番手に昇格してすぐトップさんの添え物ではないタイプの当たり役が来た感があるし、ここんとこ役の幅も広がってることは間違いなさそう。だいもんとのがっつり芝居で、ぐんぐん演技が変わっていったのがわかりました。

千秋楽のダントン邸から処刑シーンまでは、忘れられない名場面のひとつ。まだ言葉にできないほど、思い出す度に心が震えます。そんな演技のできるだいさきは、オフとのギャップもたまらないですよね。余談ですが。

最初はダントンの声の大きさ、器の大きさを意識していたようにも見えたさきちゃんが、どんどん役を自分のものにしていく過程に出会えて本当によかった。あまりにもほれぼれしすぎて、なかなか観劇後の言葉が出てきませんでした。

ここまでの話ーー彩風咲奈さんに至るまで

初めて宝塚を観たのが2002年。もうすっかりいい大人だったので、最初はB席から様式美を面白がっていた程度のファンとも言えない観客だった。ところが仕事の絡みで東宝のゲネを前方席で観せてもらったことがきっかけで、あっという間に転げ落ちた。

落ちた先は当時の花組トップに就任して間もなかった春野寿美礼さん。そこから約5年間、退団の千秋楽にムラ、東宝ともに劇場でお見送りするまでどっぷり応援させてもらった。これ以上燃えカスが残っていないところまでやり切って「もうしばらくはない」と思っていたところで、うっかり宙組の研7だった早霧せいなさんにやられる。いつも真ん中にいない、ライトが当たっていない生徒さんを観る楽しさも手伝って、また超高速でハマった。でも、雪組への組替えと同時期に、自分自身にも環境の変化があって自然と劇場そのものから遠ざかることに。不思議とあまり後ろ髪ひかれず、しばらく観ない期間ができた。

下級生時代から周りの友人たちの間で常に話題だった明日海りおさんが馴染みの花組でトップになったり、柚香光さんに心奪われたり、その花組からやはり下級生時代にずいぶんよく観た貧ちゃんこと望海風斗さん(仕事で「くらわんか」を何度観たことか)が雪組に異動したり、ちぎちゃんが雪組でトップになったり……そんなタイミングでまた定期的に劇場に出かけるようになって数年、とうとうその時がやってきてしまった。

 

雪組のショー「GREATEST HITS!」の黒燕尾(変わり燕尾)。トップさん中心の男役の群舞から、デュエダンのためにちぎちゃんだけがハケたように見えたので「あ、ここからは二番手のだいもんセンターのターンね」と思ってよく見たら、だいもんじゃない。オペラをメガネに押し付けながら「えっ? えっ? 彩風さん?」って声に出して言っちゃったよね。隣の友人は月城かなとさんに忙しくて聞こえちゃいなかったらしいけど、とにかくセンターでオラオラしてたのは紛れもなくあの彩風咲奈さんだった。音校時代に生徒募集のポスター、研1で阪急の初詣ポスターに抜擢された首席入団の可愛らしい男役の子ってイメージがいつまでも頭から抜けていなくて、このショーでも燕尾までにあれだけの見せ場があったというのに、最後の最後になってこれまでのイメージを見事にひっくり返されてしまった。あの常人を超えたスタイルと男役らしさはなんなんだ、どうやっても頭が追いつかない。これか、これなのか、次の波がついに来たのか。終演後に友人と話すときも愛称すらはっきりわからず、とりあえず混乱している旨を伝えて「これは来てしまったかもしれない」と直感した。

 

その後、だいもんのトップお披露目「ひかりふる路」のダントン役で確信するわけだが、その前にお正月のNHK BSで放送されたショー「SUPER VOYGER!」では海の見える街の素晴らしさにうっかり泣き崩れてしまい、マタドールで頭がパーンして、パレードで水色の総スパンの足元が見えた瞬間、真っ白な二番手羽根を背負った姿にまたむせび泣いてしまった。ああ、これは本格的なアレだと気付いて今に至ります。

 

そんな経緯で、いまは咲ちゃんです。